ニワトリが先だ。いや、卵が先だ。
心の問題を思うとき、いつも脳は脳を理解することだけは得意としていないと感じてしまいます。心とはなにか、わたしとはなにか、それは、煎じつめれば「脳内現象」に還元されてしまうのか、それとも、脳内現象という解釈こそが、心が立ち上げた世界の産物でもあるのか。どちらがどちらから自由であるのか。そもそも、自由であるというのはどういうことなのか。
とても古くからある、「心の哲学」の問題ですね。
今週のキラカフェは、池谷裕二さんの「単純な脳、複雑な『私』」という本をもとに、Haruka McMahon さんが読書会を担当してくださいます。脳が引き起こす意外な錯覚、身体の感覚が生み出す「心」、こういった話をまじえて、わたしたちがSLの中にアバターという「仮想の身体」を持っていることがどういう意味を持つのか考えてみたいとおっしゃっています。
ニワトリが先でも、卵が先でも、わたしたちにとって仮想は切実なリアリティでもあります。真夏の満員電車で押しくらまんじゅうにあいながら、心ははるか、砂漠のオアシスにたたずむことができる。涼しい風が吹きわたる、北欧の森を旅することができる。すると、すっと汗がひいていく、そういう経験はありませんか?(冷房がかかりはじめただけか?)
読書会をきっかけに、みんなで何かしら考えてみましょう。
場所はいつものキラカフェ。すべてテキストで行います。
0 件のコメント:
コメントを投稿